2011年11月10日木曜日

クロネコヤマトの宅急便の模倣できない仕組み


そろそろ、季節は冬、クリスマスや年末を迎えようとしている中、宅配便事業も繁忙期に入るころでしょうか。

私たち井上ゼミ生も・・・
他大学とのインゼミに、冬合宿に・・・何より卒論!!!
繁忙期を迎えようとしています。

宅配便のドライバーさんとともに、この繁忙期を乗り越えたい!と気合満タンです。


みなさま、こんにちは。()女の宅急便班、浦田です!


さて、前回のブログでは、相方の原の方から、日本通運のペリカン便事業について少し書かせて頂きました。

ここで、私たちは、
そもそもの宅配便事業のパイオニアであるヤマト運輸の仕組みを理解しなければならない
と感じました。

そこで、まずは書籍を用いてヤマトの宅配便事業参入のプロセスを見てみました。

この研究で最もお世話になっている書籍・・・小倉昌男さんの『経営学』をここでも活用させて頂きます!

そもそも、ヤマト運輸の宅急便とは・・・なんだろうか。


運輸、だったり、物流、だったり、と聞くと、いまいち身近に感じない人も多いかと思うのですが、
クロネコヤマトの宅急便というと、身近に感じられる人も多いかと思います。

道端でトラックを見かけることも多いはず。
一人暮らしなんかしていると、親から荷物が届いたり、
ネット通販で買物すると、届けてくれたり、と関わることが多いのではないでしょうか。

「なんとか明日までに荷物を届けてほしい!・・・」そんなことを当たり前のようにかなえてくれる
今日の宅配便サービスですが、昔はそれが当たり前ではありませんでした。

かつて、対企業向けのサービスしかしていなかった運輸業界。
対個人に対するサービスといえば、郵便小包の独占事業でした。
(当時、配達に4~5日かかっていたサービスだったそうです。)


採算のとれないリスクの高い事業だと捉えられ、対個人へ荷物を運ぶという宅配便サービスは、敬遠されていました。

皆に無理だと言われるようなリスクのある事業を確立させ、
今日の「当たり前」のサービスにつなげたパイオニアが、ヤマト運輸なのです。

ヤマト運輸では、かつて、他社と同じように、大口の貨物をトラックで運ぶ事業を行っていました。

しかし、戦後、その事業に陰りが見え、採算が取れなくなっていったのです。

「このままではいけない!」そう判断し、変革をした人が、
『経営学』の著者であり、当時の社長であった小倉昌男氏でした。

当時、多角化していたヤマト運輸でしたが、
ある日、牛丼の吉野家がそのメニューを牛丼のみに特化していたことを目にして、
「一つの事業に特化する戦略」を思いついたそうです。

そして、なんとか宅配便事業を成功させようと、これまでのお得意先との関係も断ち切り、
新たにゼロからその仕組みを創り上げていったのです。

対企業のサービスと、対個人のサービスの間で大きく違うのは、
・一つ一つの荷物は小さいこと(小口であること)
・対個人には、不在があること(荷物を届けても消費者がいない状態。)
ではないかと考えています。

一つ一つは小口であるため、採算を上げるためには、
バラバラになっている小さい荷物をヤマト運輸に集める必要があります。
そのために、ヤマト運輸では、街の米屋や酒屋に頼んで、取次店契約を交わして行きました。
消費者にとって身近な、地元の米屋や酒屋にヤマト運輸の旗が掲げられ、
消費者の中でその認知は高まっていき、荷物が集まって行くようになりました。
それに加え、「たとえ一つの荷物でも電話一本で取りに行きます」と明言し、
狭い住宅倍にも入れる小型のトラックに変えて、ドライバーが荷物を集荷しに行きました。

ドライバーとしては、これまで以上に手間がかかることが増えたはずです。
そんな中、小倉氏が現場を説得し続けたからこそ、
ヤマト運輸のドライバーたちは、徹底してサービスを実践していき、
信頼を獲得することができたのではないかと思います。

また、不在がある、というのはドライバーたちにとって手間になります。
これまでの対企業のサービスであれば、企業に荷物を届けるとき、
誰かはその企業にいるはずで、一度で荷物をきちんと配達できるのが当たり前でした。
しかし、一般家庭に荷物を届けると、「不在」であることはしょっちゅうです。
不在の場合、「再配達」が必要ですよね。そのためには、同じ日にもう一度その家庭に荷物を届けなければなりません。

その場合、これまでの大口貨物向けの配送網をそのまま使っていると、
一台のトラックがまわらなければならないエリアが広すぎて、再配達など出来ない、といったことになってしまいます。
そこで、ヤマト運輸では、これまでの大規模な拠点を使用せず、新たに規模の小さい拠点をいくつも作って行ったのです。
「先ほど不在だったので、今日の夜荷物を届けてもらえませんか?」
というお客様の答えにこたえられるよう、多大なコストをかけて、きめ細やかな配送網を創り上げていったのです。

宅配便、またその中での再配達、時間帯指定サービスなど、今では当たり前のサービスに感じますが、多大なコストと、ドライバーたちの努力があって実現できているものなのです!!

ヤマト運輸が宅配便事業を創り上げていく過程において、重要だったことは、
小倉氏が従業員たちに伝え続けてきた「サービスが先、利益は後」という考え方です。
徹底したサービスを実現するには、多大なコストがかかるし、コストを抑えればサービスはほどほどにしなければならない・・・つまり、サービスとコストはトレードオフの関係にあります。
これは、経営者ならば誰もがぶつかる壁なのかもしれません。
小倉氏は、このような二律背反の条件にぶつかった際、以下のように考えたのだと、小倉氏著の『経営学』の中で述べられています。


「宅急便を始めた以上、荷物の密度がある線以上になれば黒字になり、ある線以下ならばあ赤字になる。したがって荷物の密度をできるだけ早く濃くするのは至上命令である。そのためには、サービスを向上して差別化を図らなければならない。コストが上がるから止める、というのはこの場合、考え方としておかしい。サービスとコストはトレードオフだが、両方の条件を比較検討して選択するという問題ではない。どちらを優先するかの判断の問題なのである。」


(小倉昌男『経営学』日経BP社、1999年、p133134


この宅配便事業を長期的な視点でとらえ、目先のコストよりもまずはサービスを整えよう、と明確に指針を示した彼の、
経営者としてのセンス、リーダーシップはとても素晴らしいものなのだということを、学生ながら、感じました。

昨日、ヤマト運輸の社員2年目の方に、インタビューをさせて頂いたのですが、
この「サービスが先、利益は後」の考えは、小倉氏が亡き現在でも、会社で浸透している考え方だとおっしゃっていました。

クロネコヤマトの宅急便が、長期にわたって愛され続けたのも、
その変わらないコンセプト、サービスがあったからなのではないかと感じました。

今後は、枠組みを用いてこのビジネスの仕組みを整理できればと考えています!
他の企業もチェックしないと!

以上、長くなりましたが、今日はこの辺で。


失礼します。

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